本棚を整理しようとしたときに、一冊のノートを発見した。
水色の、使用感のある大学ノート。
10年前の学生時代に、長野の某所で山篭(ごも)りをしていた。
スキー宿であるペンションで、居候。
2ヶ月にわたる生活が、かなり具体的に、ほぼ毎日書き綴られている。
軽く流し読みしたが、半分くらいで読むのをやめた。
胃が痛くなってきた。
だって、ほぼ愚痴しか書いてへんもん。
少しだけ説明しておく。
ペンションは家族経営で、親子5人家族。
そこに、僕ともう1人の居候(いそうろう)が、屋根裏部屋を借りて、ペンションの仕事をしながら寝泊り。
率直に言うと、全員にいじめられてました。
なんかね、「ダメ人間」扱いされてました。
学生時代やから、本当に段取り悪かったのかも知れないし、ダメ人間に見えたのかも・・・
と、大人になって改めて日記を見たが、やっぱ違う!
自分を弁護するのはあまり好きではないが、決してダメ人間ではなかったし、やることすべてを否定される筋合いはなかった、と断言できる。
・・・さて本題。
ノート見て思ったことは、愚痴って見苦しいな、ということ。
読んでるだけで、なんでハラたたんとイカンのやろ、と今は思ってる。
自分ごとだから、ではなく、他人がこのノート見たら、同じこと思うだろう。
一時は、このノートの内容をホームページに公開しようとした。
思いとどまって、よかった。
多くの人の気分を、汚すところだった。
愚痴を日記として書くことは、人に相談できないうっぷんを吐き出すという意味で、精神的な均衡を保つのにいいと思う。
ただそれを、人の目に触れさすというのは、あまりよろしくないかな、と。
最近は、日記で愚痴を書かないようにつとめていた。
今まで以上に、愚痴は書かないように気をつけよう、と思う今日このごろ。
こんな宝物がざくざく出るのはいいが、僕の部屋はいつ片付くんだろ?