さて、早速キックボード旅を振り返りたいと思う。
今回の旅で、何と行っても触れずにはいられないのが、あの地震での被災地のこと。
今回、福島県の海岸沿いが通行できないため迂回したことは、旅前のブログで紹介したとおり。
その段階で、少なくとも何かしら津波の爪痕を見ることになるだろうと思っていた。
しかし一方で、もう8年も経っているんだから、逆にほとんど復興しているだろうと思っていた。
6日目、福島県の海岸沿いを迂回し終わり、再び海岸沿いの道に戻ったときに異様な風景を目の当たりにした。
道沿いに、広範囲の空き地がある。
よく地方だったら、水を入れる前の田んぼなんかが広がる光景を目にするが、それとは違う。
どう考えても、かつてそこに街があっただろう雰囲気を感じる。
そしてはじめの衝撃は、荒浜という地区に来たときだ。
学校が建っているのだが、すでに廃校。
海側にある金属の柵はねじ曲がり、校舎1階の窓はすべて割れている。
何より驚いたのが、その地区にある建物が、この学校だけということだ。
あたりを散策すると、住宅の基盤だけが残っており、明らかにそこが住宅地であったことがうかがえる。
まさしく「荒野」という文言がそのまま当てはまる。
津波というものが、ここに江戸時代から続いた風習や文化を、まったくゼロに消し去ってしまったのだ。
そこから北へ向かうと、そんな光景が当たり前のように広がる。
特にひどいのが南三陸町。
国道も交差する海沿いのこの場所は平地が広範囲に広がり、明らかに街があったであろうことがわかる。
それがもう、更地になってしまっているのはもちろん、国道の整備もままならない状況。
国道の標識すら間に合っていないので、スマホのGPSがなければ完全に道に迷ってしまうような有様だ。
これが現状だ。
8年経っても、復興なんてまだまだ間に合っていないのだ。
テレビなどである程度報道はされていたものの、こんな広範囲に被害があり、ここまで復興されていないということは、今回の旅がなければ理解できなかっただろう。
残りの3日間、津波の爪痕を見ずに走ることなんて、まったくできることはなかった。
ただ、さすがにどの場所も瓦礫などは撤去されており、道路や堤防も整備されつつあるので、まったく復興が止まっているわけではない。
次に同じ場所を訪れた際、今より見違えるような新しい街ができていることを、ただ願うばかりである。