キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

志々島 島へんろ ~その2~

志々島に降り立った、つづき。

 


海沿いに東へ進むと、小さな小屋のようなものが並ぶ。
これは「埋め墓」というもの。
このあたりの離島では「両墓制」というものがあり、遺体を埋葬するための「埋め墓」とお墓参りするための「詣り墓」の2つを所有することが常だったそう。
なお、昨年行ったさぬき広島や手島にも埋め墓はあったが、どちらかといえば祠のようなものだった。
一方この島のものは、カラフルな屋根が設けられ、一軒家を小さくした形状となっていてインパクトがある。

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そこから島中をお遍路めぐりするのだが、詳細は別サイトで紹介予定なので割愛。


島の奥へ進むと、道に「大楠」の案内がある。
案内に従い進むと、やがて住宅地から離れ、上り坂が続く。
しばらく行ったところの右手に、今度は急な下り坂。
下りて少ししたところに、名前どおり大きな楠が鎮座している。


樹齢約1,200年、幹まわり12m、高さ22.5mだというその圧倒的な大きさと存在感に、思わず見入ってしまう。
30分くらいは見続けていたか。
この島のシンボルだと言われているが、むしろこの塩飽諸島全体のシンボルだと言ってもいいのではないだろうか。

 

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いったん道へ戻り、さらに島の奥へ進むと、道の脇にたくさんのあじさいが栽培されている。
ちょっと時期が早いので咲きはじめといった感じだが、数の多さは見てわかる。
ちなみにこの奥には廃村があるのみで、何の観光スポットもない。
何なら観光客も、大楠を見て引き返すだろうことが考えられ、あまりこの道を通らないのでは?と思える。
にもかかわらず、こうしてきれいに整備をするのはなぜだろうか?

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かつてこの島は、仏花の栽培で栄えたらしい。
個人の勝手な憶測でいえば、島で花を栽培するということに対する、島民のプライドが根付いてのものではないだろうか。
この山奥だけでなく、港付近にも多くの花が咲き乱れていることが印象的だから、余計にそう思える。
島民20人足らず、ということも考えるとなおさら。

 

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その後はお遍路に専念し、最後のほうは船の時間ギリギリになってダッシュしながら過ごす。
がっつり1日楽しんだ!という満足感があるのに、実質3時間半しか経過していないというのがすごい。
離島って、本当に時間の流れがゆっくりである。
ありがちな言葉だと言われそうだが、ウソだと思うならぜひとも離島で過ごしてみてください。

 


といったところで、志々島のお話はこれで終わり。
さらに粟島のお話が、またつづく。