キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

need no へのつっぱり

久しぶりに、キン肉マンを見た。
Gyao!で1話から無料で見られるとのことで、先週の3連休のときから見始めている。


これをリアルタイムで見ていたのは、小学校1年生のころだ。
まだ週刊誌を買う経済力もなく、後にコミックを買い揃えるでもなかったので、正直なところ記憶が断片的である。
いや、ほぼ皆無といっていいだろう。
ただ何となくの雰囲気で笑い、ストーリーで出てくるキャラやらギャグやらだけで笑うという、実に子どもらしい楽しみ方をしていたんだなと思う。


昔のアニメは、その当時の時代背景を感じられるのがいい。
キン肉マンは特に、その世相をパロディ化・ギャグ化をしているのだ。
プロレス漫画として有名ではあるが、はじめの数話はプロレスとは関係なく、むしろスーパーヒーローという位置づけにいる。
プロレスは当時のプロレスブームがあってのもので、それ以外にも野球(特に巨人・阪神)、ネッシーウルトラマンなど流行していたものが題材になっていたりする。
初期のころのプロレスのパロディが、オトナの力か何かでそのままプロレス漫画という位置づけになったのではないかな、と個人的に思った。


時代という話でいえば、今と昔の価値観というものに驚かされる。
いわゆるコンプライアンスというのだろうか。
ドイツのレスラーだからナチスの毒霧使いなんて、今テレビで同じネタをしたらたちまち社会問題、下手すれば国際問題にもなりかねない。
他にも、スポンサーでないのに牛丼屋やお菓子の実名メーカー名をバンバン出したり。
ブスを笑いのネタにしたり。
Gyao!大丈夫か?とハラハラしてしまうのだが、これって今の時代の価値観であって、当時はオトナであっても誰も何も思わなかったのだろう。


あとは笑いのレベルというか。
とにかく間がひどい。
急に突拍子もないギャグが入ったかと思えば、ギャグをやり切って少し時間が開いてからズッコケたり。
これはキン肉マンに限らず、昔のアニメ全般にいえることだが、とにかく間が絶望的に悪い。
コミックなら笑いが成立するコマ割りになっているだろうに、それが台無しになっている。
そういう意味では、最近のアニメは間というものをものすごく研究されていて、笑いの質が段違いによくなっている。


などなど、いろんな考察をしては、本来とは違った楽しみ方をしている。
言うても、何かしら作業しながらかけ流しているので、内容自体は半分くらいしか見ていなかったりするけれども。