キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

オールナイト(ゥ)ロング

おびただしい数の寅、といえば語弊があるか。
別に、サファリパークへ行ったわけではない。
甲子園球場でもない。


朝から快晴、見事な秋空。
となると、紅葉を見に行きたくなるのが、日本人の本能であろう。
ただ、調べたところ紅葉のピークは過ぎているらしく、見ごろな場所がわずか。

そのうちの1つは、昨年とその前に行った、談山神社
ここは確かに見事なのだが、さすがに3年連続となると、飽きがくる。
まして、昨日の午前中まで倒れていた体では、車での移動に不安を抱く距離である。


ということで、意外に近場で、意外に紅葉スポット、そして意外に行ったことのなかった、奈良は信貴山の「朝護孫子寺」へ。
車で40分、途中からまったく道が混まず、またそう広くない駐車場に待ちなしで入れたことも、意外。

お寺の建物は1つだけではなく、いくつも立ち並んでおり、中には神社もいくつかある。
安い例えをするなら、神仏のデパートのようなもの。
山を切り開き、それらを次々と詰め込んだような印象である。

で、まず目にうつるのが、張り子の寅。
首だけブランブランする、置物である。
そいつが、境内の入り口に巨大なものが1つと、境内のあちこちで見られる。


境内は、立体的であり、広い。
順路がなく、いくつもわかれ道があるので、どうまわればよいのか悩む。

とりあえず人の多そうな方向へ流れてみると、経が聞こえる。
見てみると、10人ほどのお坊さんがたき火を囲んでいる。

近くへ寄ってみると、そのうちの1人に手招きされる。
すると、小さな鉄の棒に、いくつもの輪がついた道具を、頭・肩・脚の順に、経を唱えながら押さえられる。
こんなお払いをしていただけるなんて、はじめてである。


さらに奥へ奥へと進み、境内があるごとに立ち寄っては、合掌。
いずれの建物も、見た目が異なるため、なかなか飽きない。

やがて本堂へ到着。
高台になっており、境内と、山のふもとの街並みを見下ろすことができる。
紅葉は、一面が色づいているというわけではないが、純粋に景色として見ごたえがある。


そんなこんなで、正午を過ぎたあたりでひととおりまわって、帰路へ。
当初の目的であった紅葉狩りという観点でいえば、必ずしも大満足とはいえない。
が、全体的には、満足。
紅葉というきっかけで、こうした寺院巡りができるというのも、いいものだと感じた。

あと1ヶ月もすれば、初詣というきっかけもあるし、いろいろ行ってみたいな。
っていうか、もうそんな時期か!

かたかたと、キーボードを叩く音。
ただ、その音が入力のためのものでないことは、両隣の同僚も気がついたらしい。

寒い。
就業時刻から30分経った、じゅうぶん暖房のきいたオフィスで、ひとり震えていた。
こんな、まったく予兆もない突発的な高熱というのも、珍しい。

とはいえ、どうしてもやり切りたい仕事が1件あったので、昼過ぎまでそれにかかり、半日休暇をとった。
昼休み中ずっと寝ていたことで震えはとれたが、頭フラフラのまま、辛うじて帰宅。


そんな感じで、久しぶりの体調不良に悩まされた金曜日。
原因は、日ごろの過度なストレスが、ちょっとしたきっかけではじかれたもの。
と言い切れれば少しは格好つくのかも知れないが、先週末の名古屋での疲れが濃厚だろう。
早朝出発・慣れない長距離運転・現地での日中の過酷な行動、などなど、思い当たらない節がない。

家に帰って寝て、食事をとってからも寝る。
やはり疲れがたまっていたか、よく眠れる。

と思っていたのは、午前2時まで。
昼から眠っていたためだろう、この時間にぱっちりと目がさえる。
まだ体調が万全でないこともそうだが、こんな時間に起き上がって何かしようとも思わない。
となれば寝るしかないのだが、ぜんぜん眠れない。

そんな苦痛な時間を、2時間ほど過ごした。
いやはや、ほんま健康って大事やね。
ということを、病をわずらわないとわからない自分が、情けなくて仕方ない。
体力の配分とかも、いいかげん考えないといけない年齢ということも、自覚せんとね。