キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

悠久の掟

どれだけ時代が変わろうと、変わらないものはたくさんある。

先日の図書館での話。
読書に疲れ、ロビーに出て、持ってきたパソコンをさわっていた。
ロビーには、小学校4年生くらいだろうか、4人の少年がテーブルを囲っていた。

少年らのうち3人は、携帯型ゲーム、いわゆる「DS」をしながら、しゃべっている。
平成ならではの光景ながら、DSでは1つのゲームを無線でつながって遊べるそうで、その点は1つの画面でファミコンを楽しんだ自身の世代と、変わりはない。

事件が起きる。
DSを持っていない1人の少年が、「帰る」とぐずりだした。
どうやらその少年は、そこにいる友人の1人に、DSを貸していたのに返してくれない、といった内容。
わかりやすく、ぐずっている少年を「ノビ」、DSを借りているほうを「タケシ」としよう。

さらに聞いてみると、タケシはノビに10円のあめちゃんをあげており、その代わりとしてDSを借りているようだ。
まぁ、あめちゃん1つで快く高価な遊具を貸すとは考えられず、その少年らの力関係がそうなっているのだろう。
略奪とまでは言わないまでも、まぁ近しい光景は、自身の少年時代にもあったことだ。

ノビが、「返せ、どろぼう」という。
タケシが、「あめちゃんあげたやん、お前こそどろぼうやん」という。
無茶苦茶な理屈である。
が、それに対し、「そうや、お前がどろぼうやねん」と、他の2人がまくしたてる。

思わず注意してやろう、とも考えた。
が、完全な窃盗であるとか、または暴力や物の破損などでない限り、大人が口出しするべきではない、と踏みとどまった。
この判断が正しいかどうかはわかりかねるが、そこには子どもの世界があり、その場だけ言いとがめたところで、明日には同じことが起こるのだ。

その後、ノビは怒って帰るふりをして、遠くで身を隠す。
相変わらず、残りの3人はノビが悪い、と主張する。
で、しばらくするとノビが帰ってきて、また同じ争い。


そこからの光景が、少し意外であった。
やがてDS遊びが終わり、今度はカードゲームを始める。

が、遊びが始まる序盤、タケシがノビにカードを譲渡する。
残り2人が、「ノビだけそんなんずるいわ」という声を連呼しているあたり、どうやらよほどいいカードだったのだろう。
察するに、タケシはDSを借りつつも、どこかでノビに対して「悪い」という感情が芽生えていたのだろう。
もしくは、事前にあめちゃんを与えているあたり、すでにタケシとノビにはそういった師弟関係のようなものが、存在していたのだろう。

どちらにせよ、ただ嫌なことをするのではなく、しっかり恩は返すタケシの振るまいには、心打たれた。
タケシのすべての振るまいを賞賛する、という意味ではないが・・・
僕自身も、ここまで極端ではないが、どちらかといえばノビ側の人間であった。
が、タケシ的存在からは、時おり何かしらのタイミングで、ひいきはされていた記憶はある。


さらに言えば、大人社会においても、少なからずそういった光景を見なくもない。
こういった「社会(=人間の共同生活)」という中での掟というものは、年齢など関係なく、悠久なものなのだな、と感じた。