キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

名刺と手紙

部屋にある荷物を整理しよう、と意気込んで、はや1週間。
進捗は、自分でもビックリするくらい、想定どおり。

つまり、何一つ動けていない。

強いて言うなれば、頭の中でのシミュレーションは、はかどっている。
どこから手を出すべきなのかとか、どれは捨ててよいとか、捨てがたいものは一箇所にまとめたほうがよいかな、とか。
たぶん、本当に集中してやれば、半日かからない作業なのだろう。
が、作業したらしたで、なつかしいものに手が止まることくらい、自分を36年も続けていれば、わかる。


さておき、シミュレーションの中で、どうしても悩んでしまうものが、2つある。


1つは、名刺。
飲み屋でもらったもの、仕事でもらったもの、友達が仕事で使っているもの、友達がプライベートで作ったもの、誰なのかわからないもの、などなど。

まぁ、使用頻度というものは、ほとんど皆無といってよいくらい。
だが、社会人1年目の営業職で、「名刺は宝」みたいな価値観を植えつけられているため、捨てるに捨てられない。
飲み屋の名刺は、知り合いの店でなければ捨ててよいかなとは思うけれど、他の名刺って、どうも捨てにくい。

取捨選択は、どこですればよいのだろう。
あと、どうやって収納すればよいのだろうか。
ジャンルごとに名刺ホルダーに、とかがやりやすいのかな?


もう1つは、手紙。
これは今さら始まったわけではないのだが、人からもらった手紙を、捨てられずにいる。
といっても、恋文などの類を大事に持っているという気持ち悪いストーカー予備軍、ということではない。

特に大学時代なんか、手紙の交換が多かったかな?
今のIT時代に生きる若者には、まったくわからない感覚なのかも知れないけれど。
多感ながら自己表現の苦手だった時期だからこそ、もしかすると手紙という媒体に本音をぶつけられたのかも知れない。

というオヤジの説法はさておき。
手紙も、別に読み返すというようなことはしないものである。
げんに、たまたま今無造作に1通読んでみたけれど、当時の自分の思想もわからなければ、何を主旨にやりとりしていた手紙なのかが、まったくわからない。

冷静に考えると、もう捨てるしかないやんという結論に至るのであるが、これはもう感覚的というか気持ちの問題で、捨てられずにいる。
となったとき、どういった形でどこに保存しておくべきなのかな、と悩んでしまう。


シミュレーションの段階で、こんなしょうもない部分でつまづいてしまうのだ。
いざ着手したころには、もうなんぼほど時間を手が止まってしまうのか、考えただけでも恐ろしい。