キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

レンタしまなみ、ちょっと廃【後編】

意外にも波瀾万丈なしまなみ海道、2日目。


大久野島・うさ】
昨夜から終始愛想の悪かった宿を発ち、出発。
向かった先は、今回実はいちばん行きたかった、大久野島
宿からすぐ近くのフェリー乗り場から、上陸。

島へ一歩足を踏み入れると、いるわいるわ、うさぎ達。
ここの島の名物の1つが、繁殖しまくっている、このうさぎである。

要所要所で群れができていると思えば、観光客がエサを持参し、与えている。
いくらエサを与えても怒られないのは、うさぎが「野生」、つまり島の管轄ではないことによるもの。

目が合うや、遠くからこちらに駆け込んでくるさまは、動物嫌いの僕ですらモエっとする。
が、エサを持っていないと気付くと、すぐにそっぽ向くさまは、「ちくしょうめ!」とそのものズバリな暴言を吐きたくなる。


大久野島・廃】
この島のもう1つの名物は、廃墟。
かつて日本が毒ガスを製造しており、日本地図からも消されていたという、あまりに黒すぎる歴史のある島。
その当時の工場や要塞が、いくつか残されているのである。

それらの詳細を知るべく、資料館へ。
資料館では、大久野島の歴史を紹介するDVDが放映されていた。

それは、あまりにむごいもの。
過疎化による財政難に苦しむ島民が、国に要請し作成された工場は、人を殺すための毒ガス製造工場。
不完全な防護服を来ての作業は、確実に島民の体をむしばんだ。
しかし、医者には「治らない」と見捨てられ、終戦後も国からはなかなか救済されず、ただ苦しみに耐え抜くしかなかった・・・

映像を見終わってからは、写真や文献のあるフロアへ。
大久野島とは直接関係ないものの、毒ガスにより殺された人の写真は、思わず目を背けたくなる。

はじめての修学旅行で、原爆の恐ろしさを知り落ち込んだ気分が、戻ってきたような。
島に上陸したときのハイテンションが、一気に冷めた。
工場跡をまわろう、と廃墟好きの好奇心が、ものすごく罰当たりなものに感じた。


生口島因島向島
大久野島で昼食をとってからは、ひたすら島を渡る。
昨日に引き続き、思っている以上に距離が伸びない。
ふだん27インチで旅するから、26インチのペースがよくわからないのだ。
というか、わずか1インチでこうもペースが違うものなのか。

終日雲が厚く、特に昼過ぎからは寒い。
そんななか、レンタサイクルを18時に返さないといけない、という制限もあり、夕方はやや気持ちがあせる。

途中、異様におなかが減り、コンビニで買い食い。
時間ロスかと思いきや、意外にも体力が回復し、こいでいる最中のけだるさもなく、以降は休憩なしで走ることができた。


尾道
最後、尾道まではわずか2~3分で渡れる簡易フェリー。
そしてレンタサイクルを返したのは、10分前。
レンタサイクルのおっちゃんが気さくな方で、ついでにロードレーサーなるものを乗らせてもらった。

速い!
こいだ分だけスピードとなり、加速させたスピードは衰えることがない。
なるほど、こらぁはやるわ。
今度はぜひとも、ロードレーサーをレンタルしなければ。


という感じで、サイクリングは終了。
ちなみに3日目は、尾道の商店街をぶらぶらして、帰宅。
ここの商店街は、変に観光化されていないあたりが、実にステキである。

帰りの新幹線、自由席が座れず、大阪まで立ったままというのは、何ともツライものであったが。