キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

よせ!

どういうきっかけだったろう。
無性に、寄席を見に行きたくなった。
いわゆる、落語である。

漫才はよく見に行ったりはするが、落語オンリーというのは、はじめてであろう。


あつし君とその他もろもろ計4名で、日曜日は新世界にある「動楽亭」へ。
前売りなしとのことで、開場より15分も早い時間に待ち合わせ。

そして「動楽亭」へ付くと、意外や意外。
すでに20人近くが、行列をなしている。
えっ、寄席ってそんなに人気なん?


間もなくして、開場。
どうやらできて1年ちょっとしか経ってないらしく、新築の香りがする。
板の間には、右3個、左3個に用意された座椅子が、8列ほど並ぶ。
集会所を思わせるような、こぢんまりとした空間の正面には、もちろん噺家の舞台がある。

さて、開演。
計6名の噺家が、20~30分くらいの持ち時間に、めいっぱい話す。


何よりはじめに印象的なのは、声。
会場いっぱいに広がる、腹の底から出された大きな声が、耳だけでなく全身に響く。
また、声そのものが心地よく感じ、いわゆる浪曲やお経にも似た、心やすらぐ感じがする。

あとは、言わずもがなな部分ではあるが、演技力。
舞台には着物を着た噺家が1人しかいないはずなのに、まるでドラマか映画を見ているかのように、さまざまな登場人物・風景・小道具が、目の前に広がる錯覚を持つ。

途中、噺家が誤ってフリとオチを言い間違えたときは、あたかも「わざと?」と思わせるような、話の流れをいっさい止めることなく交わし、それをまた笑いへと変える。
途中で会場前にやかましい音量の車が通ったときも、しかり。
これこそ、テレビでは味わうことのできない、ライブならではの醍醐味である。

聞く姿勢も、やはり変わる。
お金を払って笑いに来ているからには、笑わなければ損だという意識が芽生える。
そのため、テレビだとさらっと聞き流すような小さなボケでも、つい笑ってしまう。


なんだかんだで、計3時間。
この時間が長いとか短いとかいう概念ではなく、とにかく噺家のおりなす世界に意識が連れ去られるため、本当に時間を忘れてしまう。

昔の生活様式や文化を知らないとわかりづらい部分は、途中でていねいな説明が入るので違和感はない。
能や歌舞伎のように、予備知識がないと理解ができない、なんてことは全然ない。
純粋に、笑いを楽しむということができる場である。


どうやらこれは、ハマってしまいそうだ。
関西にこういう寄席の場はいくつもあるそうなので、予定のない日は、こっそり1人でいろんな場所に行くかもしれない。

興味のある方ぜひともいっしょに行きましょう♪