お恥ずかしながら、僕はホームページを持っている。
先日、「友達の友達」にその話をして、ぜひ見たいと言ってたので、「友達」経由で見てもらうことにした。
後日、「友達」づたいで聞いた「友達の友達」の感想は意外なものだった。
「量多いわ・・・残念」
なんか、ショックやった。
感想がコンテンツの内容でなかったことや、コンテンツの内容を見てくれなかったこと。
コツコツ積み重ねてきた僕の苦労は、まったく評価されなかったのだ。
反面、「友達の友達」の気持ちも、わからなくもない。
僕が逆の立場だったら、同じこと言ってたかも知れない。
情報量が多ければ、見たくなくなってしまう。
でもね、ほんの5年ほど前までは、そうではなかった。
たとえば人がホームページ持ってると知ったら、このコンテンツをすべてなめ回すように見たものだ。
逆に、僕のホームページも、ひととおりは見てもらったものだ。
ここで感じることは、現代人は1つの情報に対する興味が、薄れているのではないか、と。
それは、今のWEB社会における「情報過多」が原因ではないか、と。
かんたんに言うと、インターネットに情報が多すぎ。
昔はホームページなんて作る人は限られていたので、個人で作っていれば、興味をもって見た。
ところが今は、ブログやmixiやで、実に多くの人が情報発信者となっている。
シロウトの情報が蔓延(まんえん)されているさなか、一個人が大量に情報を持っていても、その一個人の情報だけに時間を割くほどの興味が持てない。
または、「wikipedia」や「おしえてgoo」のように、専門的な情報がピンポイントに見つかる環境は、人の好奇心を半減させている気がする。
たとえば、僕がキックボードで淡路島をまわった日記なんかより、キックボードについてはキックボード専門のホームページ、淡路島は淡路島専門のホームページを見たほうが、情報がすぐ入ってくる。
そういう環境では、僕が見聞きし感じたことがらなど、情報の取捨選択において、邪魔なものでならない。
強いて言うなら、「目を通した」という満足感を得られる程度でしかない。
このままやったら、情報の吸収力とか、モノに対する探究心なんかも、そがれるのではないかな、と危惧してしまう。
・・・とまで話を膨らますのは、おおげさかな?
要は、自分のホームページを見てくれなかったことが悔しかったんだよ、チクショー!