年に1度だけ訪れる場所。
愛着があり、神聖な場所。
しかし、いつしか足を運ばなくなった場所。
今年は家族で、久しぶりに石清水八幡宮へ初詣。
幼少のころから30歳くらいまでは、毎年ここへ来ていた。
しかし、身内の心変わりがあり、いつしか足が遠のいてしまった。
家族の1人でも嫌がっているので仕方ないが、個人的にはこの場所がたまらなく好きなのである。
今回、ようやく全員の意見が一致して、久しぶりに訪れることができた。
午前9時過ぎに京阪 八幡市駅へ到着し、男山ケーブルへ乗り込む。
昔はもう少し早く来ないと混雑していたのだが、行列に並ぶことなくケーブルへ乗り込める状況が、少しさびしくもある。
これまた過去との比較になるが、山頂の寒さがゆるいことも少しさびしい。
山頂は外界よりさらに気温が低く、体を震わせながら参拝することが常だったためだ。
この初詣だけでなく、今年の正月にあまり正月らしさを感じないのは、年齢だけのせいではない気がする。
今年は前厄。
厄払いのため、黄色い袈裟をかけて、神殿でお祓いを受ける。
ふと、父親が同じく厄払いを受けていた過去を思い出す。
なつかしさというより、いつしか自分もそんな歳になったのかと、実に感慨深く感じた。
祈祷後は、おみくじ。
甥っ子に「ここのおみくじはトリッキーな出目がある、未分(いまだわかれず)とか」と説明していたら、まさかの「未分」が出た。
ちなみに、「行動次第で吉にも凶にもなる」というものらしい。
何とか吉になるための行動を、心がけなければいけない。
帰りは、ケーブルを使わず長い階段を下る。
途中にあったラムネ屋の出店がなくなっており、おでん屋も閉店。
さらに参道の露店は減少しており、鳥のおもちゃをデモンストレーション販売していた人もいない。
変化の起こりにくいと感じていた場所が、こうも変化していると、さすがに悲しくなる。
これが他の神社でも起こりうる時代的な要因なのか、この神社だけに起こっていることなのかは、わかりようがないが。
少なくとも、昔のようにもっとにぎやかで、非日常を強く感じられる場所であってほしいものである。