キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

坐禅~ただ座るだけ

ただ飲みに行こう、という話がきっかけであった。
しかし直近の平日は折り合わず、土曜日ならいけるということとなり。
せっかく土曜日なら、昼からでも遊べるねということとなり。
そして京都へ行こうとなり、どうせ京都なら京都っぽいことしたいということとなり。

結果的に、「坐禅をしよう」ということとなった。


土曜日は午後2時から、会社でも特に仲良くしている2人と河原町で合流し、「建仁寺」へ向かう。
鴨川を渡り、路地を1つ曲がったところに、石畳と京都っぽい家屋の並ぶ通りがある。
京都は何度も来ているが、こんなステキな道が、こんな都心近くにあったとは。

建仁寺の門をくぐると、その中に幾つもの建物がある。
そのうちの1つが、座禅ができる「両足院」。
「駅から10分」と書かれていたが、ゆっくり歩いていたためか、20分もかかってしまった。


受付を済ませ、廊下を渡ってお堂へ。
窓越しの正面には、広くきれいに整備された庭園がのぞめる。
ただ、庭園を数名の業者さんがメンテナンスしているのが丸見えで、残念。
参加者は、すべてで40名ほどで、見た感じでは30~40代の方が多く感じられる。


やがて、お坊さんがあらわれ、開始。
はじめにするのが、「ただ立つ」こと。
文字どおり、ただ起立をするだけ。
骨盤の位置や体の前後左右のバランスを考えていちばん落ち着く姿勢で、首や肩の力を抜き、リラックスさせる。

1分ほどしたあとに、座って説明を聞く。
そこでまず言われるのが、「ただ座るだけ」ということ。

坐禅といえば、気持ちを1点に集中するとか、心を無にするとか、そう印象を持たれるが、それは違うとのこと。
ふだん人間は、自分の意識が頭にのみ集中している。
その意識を、頭だけではなく、体全体へと向ける。

人間というのは、頭だけではなく、いくつものパーツでできており、細分すれば何兆もの細胞からできている。
また、「座る」という行為をするには、自分を支えてくれる床という存在がある。
そして、生きるためには、「呼吸」という空気の循環が必要である。
それら、自分というものを構成するすべてに、意識を向けることが必要だとか。

その他、息を吐くごとに「ひとーつ」「ふたーつ」とゆっくり数えるようにする、との教えもいただく。
ううむ、かんたんそうであり、難しい。


座り方は、片足をもう一方の足の付け根に入れ込み、それを交互に行うのが基本。
もちろん、柔軟性がないときびしいので、足を組まない方法を教えていただく。
正座も座り方の1つらしいが、正座はあまりしないらしい。

あとは、坐禅の代名詞でもある、背中バシーン。
今回の体験では、お坊さんが歩いてきたときに、両手をあわせて自己申告するという方式。
バシーンにより、意識が頭だけに集中していることが解けるそうな。


いよいよ、実践。
全25分で、うち小休止が1回ある。

まず、ここが本当に京都の中心地かと思えるほど、静寂が広がっていることに気づく。
それからは、できるだけ意識を頭以外に向けてやる。
呼吸も、1つずつ数える。

ということが頭でわかっているのだが、なかなかできない。
いや、できているかどうかわからない、といったほうがいいか。
それではどうしたらいいのだろうか、と頭をフル回転する。
それにより、呼吸を数えることも忘れる。

ううむ、結局意識が、頭に集中してしまう。
と思っていたところで、お坊さんが近づいてきた。
合掌し、状態を下げ、背中バシーンを計4発。

痛みはあれど、イヤな痛みではない。
確かに、頭の中に集まった意識が、いくつか解かれる。
とはいえ、やはり意識を分散することは難しい・・・


やがて、坐禅終了。
最後、再びお坊さんのお話がある。
そこでは、そのお坊さんも、10年くらいは意識が頭から逃がすことができず、今でも完璧ではないとあった。
いやいや、専門家が10年かかることが、できるかいっ!

とはいえ、静寂の中で「ただ座る」という体験は、日常生活ではなかなか味わえないものだ。
また機会を作り、訪れたいものである。