キックボード旅人の日常

キックボード旅人による、旅の話とか日常のこと。

なつかしきアメリカ

厳密にいえば、ほんの数年ぶりである。
が、大学時代は年に何度も足を運んでいたので、なつかしさを感じずにはいられない。

大阪の元祖「若者のたまり場」、アメリカ村
名前のインパクトもさながら、数多く並ぶ服屋、街のオブジェ、街角に立つ外国人。
いずれをとっても、若かりしころの自分にとっては、これ以上にない刺激的な街であった。

そんなアメリカ村にも、社会人になりアウトドアという趣味を持ってからは、縁遠くなった。
なんでもアメリカ村そのものも、堀江という街に客をとられたとかで、えらく元気がなくなったとのウワサも耳にするようになった。
まぁ、大学時代は古着ブームという大きなムーブメントがあったので、盛衰があることは否めない。


さて先日、メタルイベントがアメリカ村のバーであったので、イベント前に久しぶりにうろついてみた。

意外にも、多くの服屋が健在。
当時ファッションにはまったく興味なかった僕には、どの店も同じように見えた。
が、今あらためて見ると、なるほど店ごとにコンセプトや置いてるブランドが全然違い、服の点数がハンパなく多いことがわかる。
いや、今そないファッションに精通してるわけやないけど。

大きく変わったと感じたのは、飲食店が多いということ。
カフェや居酒屋など、いずれも個人経営のお店が多く、店によってはキャパも広い。
これは夜、徘徊したいなぁ~と、思わず酒飲みの血が騒ぐ。
いや、今そない酒飲みやないけど。


若者というより、どちらかといえば僕ら前後の世代が楽しむような街になった、というのが率直な感想。
街のコンセプトが、大きな一本の幹ではなく、いくつかの幹に枝分かれしているように思えた。

あれだけ足を運んだのになじめなかった街も、今はもうちょっとまめに通いたく感じた。


ちなみに、アメリカ村を毛嫌いしているのは、大学時代にいた、ある1人の店員のせいである。
日記では何度か書いている事件であるが・・・

ある服屋で、やたらしつこくTシャツを売りつけようとする店員さんがいた。
アメリカ村では、特に当時は当たり前な光景であったが、これがもう苦手で苦手で。
あまりに店員がしつこかったので、ずっと無視していると、はき捨てるように言われた。
「そらぁそんな服着てたら彼女できへんわ」

まぁ当時のファッションセンスは、今見たらひどいもんやったけど・・・
服屋がそれ言うかぁ?
言い方も、ほんまケンカを売る勢いの口調だったので、それがずっとトラウマになっているのである。


さすがに今はアメカジというスタイルを持っているし、そない恥ずかしい着かたはしていない、つもりである。
当時の店員にあって、どんなもんじゃと言ってやりたいものである。

まぁそれでも、「彼女できへんわ」のフレーズは払拭できないのであるが。